ドライバーが事故を起こした ─ 深夜2時の判断ミス

深夜2時、ドライバーからの電話。「事故りました」──エースキャストを乗せた車が交差点で衝突した。疲労による判断ミスが招いた事故は、保険の不適用、使用者責任、キャストの補償問題という連鎖を引き起こす。開業4カ月目の経営者が学んだ、送迎管理の本質とは。

十二月十四日。土曜日の深夜二時三分。

中村拓也の携帯が鳴った。画面には「山田」の文字。ドライバーの山田健一──開業初日から送迎を担当してくれている、四十七歳の元タクシー運転手だ。

「中村さん、すみません。事故りました。」

中村は事務所の椅子から立ち上がった。

「怪我は。」

「俺は大丈夫です。でも、みくさんが……ちょっと首が痛いって言ってて。」

中村の血の気が引いた。

深夜の交差点

事故の詳細は、こうだった。

午前一時四十五分、みくの接客が終わり、山田は鶯谷のホテルから事務所に向けて車を走らせていた。みくは後部座席に座っている。土曜深夜の道は空いていた。

台東区内の交差点。信号は黄色から赤に変わる直前だった。山田はアクセルを踏んだ。行ける、と判断した。しかし右側から、信号が青に変わった瞬間に飛び出してきた乗用車があった。

山田の車は交差点の中央で右前方を接触された。衝撃で車体が横に押し出され、歩道の縁石に左後輪をぶつけて停止した。エアバッグは作動しなかった。速度が低かったためだ。

山田はハンドルを握ったまま無事だった。しかし、後部座席のみくはシートベルトをしていなかった。衝撃で体が左に振られ、ドアに頭をぶつけた。意識はある。出血もない。だが、首と左肩に痛みを訴えていた。

相手の車のドライバーは三十代の男性で、怪我はなかった。車の損傷は双方とも走行不能ではないが、フロントバンパーとフェンダーが大きく凹んでいた。

山田は中村に電話しながら、警察にも一一〇番通報をしていた。

電話口で考えなければならなかったこと

深夜二時。中村は事務所のデスクで、同時に三つのことを考えなければならなかった。

一つ目、みくの安全。首と肩の痛みは、むち打ち症の初期症状である可能性が高い。今は軽症に見えても、翌日以降に症状が悪化するケースがある。すぐに救急車を呼べきか、それとも翌朝の受診でいいのか。

二つ目、警察対応。山田はすでに警察に通報している。警察が来れば、現場検証が行われる。山田は信号が変わる直前に交差点に進入している。過失割合が問題になる。

三つ目、事業への影響。みくは今月の売上の三割以上を稼いでいるエースキャストだ。首を痛めれば、最低でも一週間は出勤できない。十二月は年末需要で一年で最も稼げる月だ。エースの離脱は直接的な売上減を意味する。

この三つの中で、中村が真っ先に考えるべきことは明白だった。一つ目だ。しかし、経営者の頭は三つ目を先に計算しようとする。中村は自分の思考の順序に気づいて、恥ずかしくなった。

「山田さん、まず救急車を呼んでくれ。みくが『大丈夫』って言っても呼んでくれ。むち打ちは後から来るから。」

「分かりました。あと、警察がもう来てます。」

「俺も今から行く。場所どこ?」

現場に着いて

タクシーで現場に着いたのは、午前二時二十五分だった。

交差点にはパトカーが一台と、山田の車と相手の車が停まっていた。救急車はまだ来ていない。みくは車の外に出て、山田のジャケットを肩に掛けて歩道のガードレールに腰かけていた。

「みく、大丈夫か。」

「大丈夫です……たぶん。首がちょっと変な感じがするだけで。」

警察官が中村に近づいてきた。

「あなたは?」

「車の持ち主……というか、彼の雇用主です。」

正確には、山田は業務委託契約のドライバーであり、雇用関係ではない。しかし深夜二時の交差点で契約形態の説明をしている場合ではなかった。

警察官は中村ではなく山田と相手ドライバーから事情を聴取した。信号の色について、山田は「黄色だった」と主張し、相手は「こちらが青だった」と主張した。交差点に監視カメラがあるかどうかは、後日確認するとのことだった。

午前二時四十分、救急車が到着した。みくは救急隊員に首と肩の痛みを伝え、近くの救急病院に搬送されることになった。中村は救急車に同乗した。

病院の待合室で

午前三時過ぎ。台東区内の救急病院。

みくはレントゲンとCTの検査に入った。中村は待合室のプラスチック椅子に座り、初めて冷静に状況を整理する時間を得た。

頭の中に浮かんだのは、これまで一度も真剣に考えたことのない問いだった。

──ドライバーが事故を起こしたとき、経営者は何を負うのか。

中村は前の店にいた一年半の間、送迎中の事故を一度も経験しなかった。だから考えたことがなかった。しかし冷静に考えれば、デリヘルの営業においてドライバーの送迎は業務の一部であり、送迎中の事故は「業務中の事故」だ。

いくつかの論点が頭に浮かんだ。

山田の車は誰の名義か。山田の個人所有車だ。中村の店は車両を持っていない。開業時に車を買う余裕がなかったため、山田が自分の車を使って送迎する形で業務委託契約を結んだ。

保険はどうなっているか。山田は自動車保険に加入しているが、「業務使用」の区分で契約しているかどうかは確認していなかった。もし「日常・レジャー使用」で契約していた場合、業務中の事故は保険の適用外になる可能性がある。

みくへの補償は。みくは業務委託契約のキャストだ。従業員ではないため、労災保険は適用されない。送迎中に怪我をした場合、治療費は誰が負担するのか。

中村は携帯で検索を始めた。深夜三時のスマートフォンの画面に、知りたくなかった情報が次々と表示された。

知らなかった三つのリスク

検索結果と、翌日の弁護士への相談を合わせて、中村が知ったリスクは三つあった。

第一のリスク、使用者責任。民法七一五条は「ある事業のために他人を使用する者は、被用者がその事業の執行について第三者に加えた損害を賠償する責任を負う」と定めている。山田が業務委託契約であっても、実質的に中村の指揮命令の下で送迎業務を行っていた場合、中村にも使用者責任が発生する可能性がある。つまり、相手ドライバーの車の修理費用について、中村が賠償を求められる可能性があった。

第二のリスク、保険の不適用。翌日、山田に保険証券を確認させたところ、案の定「日常・レジャー使用」の区分で契約していた。保険会社に連絡すると、「業務使用中の事故は免責事項に該当する可能性がある」と回答された。最終的に保険が適用されるかどうかは調査次第だが、もし適用外になれば、車の修理費用と相手への賠償費用のすべてが自己負担になる。

第三のリスク、キャストの補償問題。みくの診断結果は「頸椎捻挫(むち打ち)」で、全治二週間。通院が必要だ。みくは業務委託契約のため労災保険の対象外だが、送迎中──つまり店の業務の一環──で負った怪我であるため、中村には安全配慮義務違反を問われる可能性がある。治療費と休業中の補償を店が負担すべきかどうかは、法的にはグレーだが、道義的には負担するしかない。

治療費の見込みは、通院六回で約十二万円。みくの休業補償として、二週間分の想定売上の五割を出すとすれば約十八万円。合計三十万円。さらに、山田の車の修理費用が相手側の過失割合次第で二十万円から四十万円。保険が適用されなければ、最悪のケースで総額七十万円の出費になる。

十一月にようやく三十二万円の月間利益を出したばかりの店にとって、七十万円は二カ月分以上の利益が吹き飛ぶ金額だった。

みくへの謝罪

十二月十五日の夕方、中村はみくの自宅近くのカフェで会った。

みくは首にコルセットを巻いていた。顔色は悪くなかったが、首を左に向けるたびに顔をしかめた。

「みく、本当に申し訳ない。」

中村は頭を下げた。

「治療費は全額うちで持つ。通院のタクシー代も出す。あと、出勤できない間の補償も考えてる。」

みくは少し驚いた顔をした。

「そこまでしてもらえるんですか。前の店では、仕事中に怪我しても自己責任って言われてたので。」

この言葉に、中村は胸が痛んだ。業界の慣習として、キャストの怪我は「自己責任」として処理されることが多い。業務委託契約である以上、法的にはそれで通ってしまう。しかし、今回の怪我は送迎中の事故だ。みくに落ち度はない。シートベルトをしていなかったのは問題だが、それはドライバーが声をかけるべきだった。

「前の店がどうだったかは関係ない。うちの店で、うちのドライバーの車で怪我したんだから、うちが責任を持つ。」

みくは黙って頷いた。そして、小さな声で言った。

「中村さん、私、年末までには戻りますから。年末年始、稼がないといけないですし。」

中村は「無理しないで」と言いかけたが、飲み込んだ。みくにはみくの生活がある。経営者として「ゆっくり休め」と言えるのは、その間の補償を十分に出せる体力がある場合だけだ。今の中村の店にはその体力がない。

山田との会話

みくと別れた後、中村は山田に電話した。

「山田さん、保険の件は。」

「さっき保険会社から連絡がありました。業務使用の申告をしていなかったので、今回の事故については免責になる可能性が高いと。最終結論は来週出ます。」

中村は目を閉じた。最悪のシナリオが現実になりつつあった。

「山田さん、正直に聞くけど、なんで黄色で突っ込んだ?」

数秒の沈黙があった。

「……眠かったんです。土曜の夜は忙しくて、もう八時間ぶっ通しで走ってました。早く終わらせて帰りたくて、黄色で行けると思って。判断ミスです。すみません。」

中村は山田を責められなかった。山田が八時間ぶっ通しで走っていたのは事実だ。しかし、それは中村が許可──いや、黙認していたからだ。土曜の夜は案件が集中する。ドライバーは一人しかいない。「もう一往復お願いできますか」と何度も頼んだのは中村自身だ。

山田の居眠りに近い判断ミスは、中村のオペレーションが生んだ必然だった。

見直した三つのこと

十二月の後半、中村は事故の処理と並行して、三つの仕組みを見直した。

一つ目、ドライバーの稼働上限を設定した。一日あたりの送迎回数を最大六往復、連続稼働は六時間までとした。超過する場合は案件を断る。売上を逃すことになるが、事故を起こせばその何倍もの損失が出る。

二つ目、保険の見直しを行った。山田の自動車保険を「業務使用」区分に変更させた。保険料は年間二万四千円の増額になったが、この程度の投資を惜しんで保険が適用されないリスクを取る方が愚かだ。さらに、中村自身も事業者向けの賠償責任保険に加入した。月額五千円。使用者責任で賠償を求められた場合のカバーだ。

三つ目、シートベルト着用の徹底。当たり前のことだが、これまでルール化していなかった。ドライバーは出発前にキャストのシートベルト着用を確認する。後部座席でも例外なし。これを書面にして、山田とすべてのキャストに署名させた。

この三つの対策にかかった費用は、保険の増額分と賠償責任保険を合わせて年間で約八万円。事故を一件防げれば、十倍以上のリターンがある計算だ。

十二月の決算

十二月三十一日。中村は事務所で年末の数字をまとめていた。

十二月の総売上:百八十九万円。過去最高だった。年末需要で入電が増え、新人のゆいとかりんの成長も寄与した。しかし、支出も過去最高だった。

固定費:七十二万円。みくの治療費・休業補償:三十万円。車の修理費用(山田の車):自己負担分二十二万円。弁護士相談料:五千円。新規保険加入費用の初月分:五千円。合計、約百二十五万円。

利益は約六十四万円。事故関連の出費がなければ百万円近い利益が出ていたはずだ。しかし中村は「六十四万円残った」ことの方に意味を感じていた。

みくは十二月二十七日に復帰した。コルセットはまだ外れていなかったが、「接客には支障ない」と本人が言い張った。年末最後の五日間で、みくは十四件の指名を受けた。

経営者の判断ミス

大晦日の深夜、事務所の片づけをしながら、中村はこの事故の教訓を整理した。

山田が黄色信号で突っ込んだのは、山田の判断ミスだ。しかし、そのミスを生んだのは、中村がドライバーの稼働管理をしていなかったことだ。八時間連続で走らせていた。疲労が蓄積すれば判断力が鈍る。当然の帰結だった。

保険を「レジャー使用」のまま放置していたのも中村の怠慢だ。開業時のコスト削減で見て見ぬふりをした。年間二万四千円を惜しんで、結果的に二十二万円の自己負担が発生した。十倍の損を出している。

みくにシートベルトを着用させていなかったのも、中村の管理責任だ。後部座席のシートベルトは、この業界ではつけない人間の方が多い。しかし「みんなやっていないから」は理由にならない。

飲食店の経営では、食材の品質管理を怠れば食中毒が出る。デリヘルの経営では、送迎の安全管理を怠れば事故が起きる。どちらも「経営者の管理不足が直接的な損害を生む」という構造は同じだ。

中村がノートの最後のページに書いたのは、次の一行だった。

「事故は起きてから対応するものじゃない。起きる前に防ぐものだ。」

年が明ければ、開業から五カ月目に入る。中村は新品のノートを取り出し、表紙に「一月」と書いた。

事務所の窓の外で、除夜の鐘がかすかに聞こえた。

次回予告
第5回「本番強要の通報 ─ キャストを守れなかった日」では、性的トラブルへの対処と防止策、キャストの安全をどう守るかを描きます。